2024/05/14
日常の再スタート(No.70)
 先週はGW明けの週でした。毎年思うのですが、子どもたちにとってこの時期は結構大変です。▶️目の前の子どもたちは、まず連休明けで学校中心の生活リズムを取り戻すのが大変そうに見えます。ただそれより前に「年度末〜年度始め」にかけて子どもたちを取り巻く慣れ親しんだ周辺環境が大きく変わることによる影響の方が大きいと思います。▶️この2ヶ月の期間において、子どもたちは学校制度や大型連休などの社会全体の大きな流れにほぼ無抵抗のまま乗せられていきます。子どもたちの日常はごくごく身近な周辺の人々を中心に回ります。小学生の日常のベースは「学級」になるでしょう。このベースが年度またぎで再編されます。つまり、4月の1ヶ月かけて子どもたちは新たな「学級」で自分の居場所をつくることにエネルギーを使うことになります。▶️そしてGW明け。バタバタと大きな波に乗せられたあとの日常の再スタートです。大人でさえ通常のリズムに戻すのに苦労します。ましてや、まだまだ小さい子どもたちにとっては大変な事です。焦る必要は全くないです。子どもたちには自然と笑顔がこぼれるようなペースで日常を過ごして欲しいと思っています。【終】
2024/05/07
地に足をつける事の難しさ②(No.70)
 前回の最後に「浮き足立つ」を挙げました。辞書では「不安や恐れで落ち着きを失う」とあります。最近では「コロナ禍、戦争、地震」など人々は翻弄され続けています。本人が知りたいか否かに関わらず無数の情報に囲まれると心は乱されるものです。▶こんな時に、子どもの動きが参考になります。子どもが数人居れば即興で何らかの遊びが始まります。遊びについて子どもは達人です。何か外部に翻弄されるのではなく、自ら主体的に眼の前の事に関わっている様子が伝わります。つまり「地に足がついている」のです。▶ここにヒントがあります。情報に触れ続けていると事の大小や自身との関係性などの感覚が麻痺してきます。こんな時は情報との距離を意識的にとり、ある一定時間自分自身が没頭できる何かに取り組む時間を設けるとよいです。すると「大変に見えた情報」が実は自分が勝手に過大評価していたに過ぎない事だったということが起こります。夜に深刻に捉えていた悩み事が翌朝起きてみれば大したことなかったという事象と似ています。こうして無限にあふれる情報と冷静に距離をとる習慣付けをすることで多少は「地に足をつける」感覚が味わえるかもしれません。【終】
2024/04/30
地に足をつける事の難しさ①(No.69)
 日々の生活や人生全般において「地に足をつける」を身をもって実践していくことがなかなか難しい時代になって久しいと最近思っています。▶ヒトもモノも情報も「移動の幅」は拡大の一途をたどり、「移動の速度」は人や物については物理的限界があるものの、情報に至ってはまさに「秒」で世界中を駆け巡る時代です。私も日々の生活においてネットに繋がらない日は皆無。ほぼ無意識に近い状態で情報の渦の中を出たり入ったりしているのかもしれません。また、自身のあちこちへの移動やネット通販の利用によるモノの移動。旅行や出張などによる国内外への長距離移動を通じて文明の便利さや快適さを十二分に享受しています。▶ところが一方で日々の生活はなんだかせわしなく、ちょっと落ち着かないというか、立ち止まりにくいというかモヤモヤする……。そんな感覚を覚えることがあります。この感覚の正体は何かを改めて自分なりに検討してみました。すると「気が散っている」、「ソワソワする」、「充実感が長続きしない」、「空虚な感じがする」……。どれも曖昧で抽象的な表現ですが、これを一言にすると「浮き足立つ」が頭に浮かんできました。(次回に続く)【終】
2024/04/23
チャレンジマッチ(No.68)
 4月21日(日)に空手の試合(「チャレンジマッチvol.1」)がありました。この試合の主な目的は「試合経験を積む」こと。当道場からは11名が参加。4年生以下の選手がひとり2〜3試合を経験することになりました。▶️空手を始めて1年前後で初の試合に臨んだ選手たち。まだまだ小さい彼ら彼女らにとって、今までに味わったことのない緊張感に包まれた中での対戦の怖さは相当なものだったと思います。それでも予定試合のすべてを最後まで戦いきった子どもたちの勇気をまずは称えたいです。本当によく頑張りました。▶️さらに、日々子どもたちのサポートをしていただいている保護者の方々。今回は勝敗に関わらず複数試合に挑む子どもたちへの精神的ケアが特に大変だったと思います。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。▶️1日で複数試合を経験した選手たち。あの試合会場の空気感、四角いコートでひとり戦うことへの恐怖感。言葉では表しきれない様々な感情を抱いたことと思います。よく耐えました。指導者としては、この日子どもたちがきっと大切な何かをつかんでいるはずだと感じました。選手及び保護者の方々、本当にお疲れ様でした。【終】
2024/04/16
外相整えば(No.67)
 「外相整えば、内相自ずから熟す」という禅の言葉があります。私の解釈はこんな感じです。「とりあえず外見や行動など目に見える部分をきちんと基本通りの型に整えていけば、徐々に内面(気持ち)も熟していくもの。」▶例えば空手の稽古。特に理由なく「やる気がでないので休みたいな。」ということは誰にでもあります。こんな「気持ち」を感じた時はまず意識的に外相を整えにいきます。この場合の「外相」とはまず①とにかく準備をして稽古場へ向かう行動。そうやって「気持ち」に関係なく自分の身体を稽古場に移動させます。次に②稽古場に着けばとりあえず道衣を身にまとい帯を締めます。あとは、仲間とともに稽古でいつも行う基本の型など全体の流れにそって身体を動かせば、大抵の場合は知らず知らず「気持ち」も整ってきます。そして稽古が終了すればやる気がでなかったのが嘘のように充実感に満たされていたなんてことがよく起こります。▶このように「気持ち」という曖昧なものは時と場合によっていくらでも変化するので、それらにとらわれず今やるべきことがある場合は色々と考える前にいつも通りの行動をしてしまうと大抵はうまくいくものです。【終】
2024/04/09
空手も新年度(No.66)
 学校では新年度が始まっています。年度が変わる3〜4月は空手の体験入会のピークとなります。千里道場では各教室において複数名の子どもたちが空手の稽古を体験中です。▶️また、この時期の道場の子どもたちにおいては3月に実施した昇級昇段審査会をクリアして獲得した新しい色の帯を巻いて気持ちを新たに稽古に励む時期でもあります。最近の稽古の雰囲気としては、子どもたちの多くが学年も帯もひとつ上に進級したうえ新たな後輩たちも増えていくということで、より一層のがんばりを見せており道場全体のエネルギー量が増しているように感じられます。▶️さらに、当道場としては4月より新たに北千里教室を開始しました。こちらでは幼少年コースの稽古の後で試合及び上級者向け特訓の時間を設けることにしました。今年度は昨年度と比べて試合の回数が増え、また出場者のレベル分けが進むことで様々な選手の出場機会が増えています。日曜特訓に加えて試合出場に特化した稽古機会を増やすことで選手育成にも力を入れて行きます。▶️動きやすくなってきたこの時期、空手の稽古を通じて身体を躍動させながら春を楽しんでいきましょう【終】
2024/04/02
子どもの成長と待つこと(No.65)
 待つことはなかなか難しいことです。例えば行列のできるお店で待つこと。これも忍耐が必要ですが、それでも結果はあらかじめわかっているので待ち甲斐もあります。▶️一方で子育てをすると身にしみてわかります。子育てはどれだけ待っても結果は予測できないということです。子どもの成長は待つことの連続。親はえてして自分の描いた理想像に子どもを近づけたいと思うもの。ところが、子どもの成長とはゆっくりとした時間の流れにそってあっちいったりこっちいったりしながらだんだんと変化し、気付けば今の姿になっていたというのが私の実感です。▶️空手や学習の習熟もそうです。ただ子育てという漠然とした行為と違い、これらはわかりやすい結果目標がたてやすいという面はあります。しかし、それでもその道は一本道ではありません。心身の成長や周囲の環境変化など複数の要素が絡み合って右往左往するのが実態。それでも本人が望んで努力を続け、さらに保護者や周囲の人のサポートがあれば行き着くべきところに到達するというのが私の実感です。最近の空手の昇級審査や試合から子どもたちが数年の時間をかけて確実に成長している姿を見て確信した次第です。【終】
2024/03/26
昇級昇段審査会(No.64)
 真正会千里道場管轄の5教室で現在「昇級昇段審査会」を実施中です。当日は沢山の保護者の方々が観覧されるため普段よりやや緊張感を感じる雰囲気の中で日頃の稽古の成果を披露します。審査内容は普段の稽古の流れに近いかたちで行うため、いつも通りの動きができれば基本的に合格できるようにしています。 ▶️「少年形」の審査については全員が見ている中ひとりで演武する場合もあり、緊張して普段通りの動きができないこともあります。いつも子どもたちにはこういっています。「だれでも緊張するから。緊張したままでいいから、今できることをやってみよう。間違えたら、またやり直したらいいから。全然問題ないから。」と。子どもたちには空手を通じて「間違えることや失敗することを恐れない勇気」を身につけて欲しいと思っています。 ▶いろんな可能性を秘めた子どもたちにとっては、空手に限らず何かに向かって取り組んでいくプロセスそのものが大きな価値を持つと思っています。時間の経過とともにハードルが上がってくることもあるでしょう。それでも彼ら彼女らの向かう方向を一緒に見ながらしっかりサポートをしていくのが私たちの役割だと思っています。【終】
2024/03/19
花粉さえなければ(No.63)
 花粉さえなければ・・・。もっと快適にこの季節を楽しめるのに。春になるとつい思ってしまいます。▶️言うまでもなく日本には四季があり、この地に住む人は平等にその循環する一定のリズムを楽しめます。この時期の四季の変化を感じるきっかけといえばなんといっても桜。その他、タンポポやつくしなどの草花、鳥のさえずり、虫の鳴き声。スーパーに足を運べば菜の花、エンドウ、タケノコ、アサリ、タイ、イチゴ、サクランボなど旬の食材がずらりと並びます。▶私が四季の変化を一番感じる瞬間といえば外出時。家から1歩外に出て動き始めた時の空気の感じです。冬は外に出た瞬間に身体が縮こまったり、身震いしたりと何かと瞬間的なストレスを感じます。一方、春は何のストレスもなくすっと外の空気と一体化していくような軽やかさを感じます。この感じがたまりません。▶子どもたちといえばこの時期は進級や進学を伴うイベント期。感受性豊かな彼ら彼女たちは、様々な出会いと別れを経験しながらまたしっかり次の歩みを進めていきます。と、こう記しているうちにやはり花粉の時期であったとしても春は色々と嬉しい季節だと再確認することができました。【終】
2024/03/12
身体の世界と脳の世界(No.62)
 解剖学者の養老孟司氏は言います。子どもは自然や感覚に代表される「身体の世界」に属し、大人は都市や情報社会に代表される「脳の世界」に生きていると。▶就学による効果がいきわたりきっていない幼少期の子どもは自然の生き物に近いため、人間社会(≒脳の世界)が作り出す仕組みやルールを平気で逸脱します。したがって、大人からみた子どもの動きは予想外、想定外に映ります。空手指導でその事が肌感覚でわかります。▶5歳〜低学年の幼年コースでは随所に「身体の世界」的な動きが見られます。小さい子どもは想定外の動きだらけです。でも私はそれでいいと思っています。フルコンタクト空手の良さは組手の自由さ。ここに「身体の世界」が出現します。技には身体の感覚が重要です。いくら脳で考えても上手くいかないことにいずれ気づきますから。▶子どもは学年が上がるにつれて集団教育がいきわたる世界が生活の中心となり、徐々に「脳の世界」に近づいていきます。時に社会や世間のルールを窮屈に感じることもあるでしょう。そんな時に、幼少期から身をもって学んだ空手が「身体の世界」の自由さや解放感を味わう手段のひとつだったことに気づくはずです。【終】

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