2024/12/17
セルフイメージの効用(No.101)
 小さい子であればあるほど徹底してポジティブな声かけをする。子どもたちと接する上で心がけていることです。▶極端な話、子どもは大して何も獲得していません。自他の区別や主観と客観の違いなどを意識することも難しい時期です。だからこそ心も身体も柔らかくてどんな風にでも変化できるということ。▶一方で、子どもたちには生まれもった資質のようなものも見て取れます。どの子も当然「得意・不得意」の分野があります。どちらか一方だけという子どもはいません。そんな彼ら彼女らに対して意識していることは、とにかく早い段階で「得意」な分野を見つけてあげて、何度も声にだして伝え続けること。空手ならパンチでも蹴りでもなんでもいい。大きな声での号令でも、準備の速さでもいいんです。そんなコミュニケーションをとることで、子どもたち一人ひとりが自分自身に対してポジティブなセルフイメージを持てるようになってもらいたいと考えています。技術の上達はまだまだ先でいいんです。▶「好きこそ物の上手なれ」。自分によいイメージを持てさえすればあとは大抵なんとかなります。柔らかい子どもにこそ、大人のポジティブな言葉は響くと確信しています。【終】
2024/12/10
眼の輝き(No.100)
 眼の輝きというのは、「見えた」というより「感じた」という方が実体に近い気がします。▶ありがたいことにこの仕事をやっていると毎日その「眼の輝き」を感じることができます。子どもと接する仕事をしている人の多くがこの特典を受けているはずだと思います。▶子どもといっても千差万別。性格も様々。その子その子の眼が輝く瞬間やタイミングは多種多様です。だからこそこの日々の体験は奥が深いなといつも関心しています。空手で上手に動けた時。算数の発展問題が解けた時。こんな時はもちろん分かりやすい瞬間です。それだけではなく、仲間同士でふざけあっている時。勉強の合間に学校での出来事を話している時。お母さんがお迎えに来たのが目に入った瞬間。稽古終りの挨拶の瞬間。挙げ始めたらキリがありません。▶これは私の解釈ですが、子どもたちの「眼の輝き」とは彼ら彼女らが自身の身の回りの出来事を「全面肯定している証」のように私には感じられます。そんな子どもたちの輝きをこれからも大切にしていきます。【終】
2024/12/03
書店と道場(No.99)
 書店。私が居心地が良いと感じる場所のひとつです。最近ではネットで本を購入することが増えましたが、それでも書店に行くとつい長居をしてしまいます。▶たいていの書店は静かです。そこではBGMが流れていないか、流れていても穏やかなクラシックが多いようです。似た空間で思い浮かぶのはホテルのロビーや美術館、博物館でしょうか。もちろん図書館もですが。▶そこにいる人々が手にしているのはスマホではなくて本。静かに本を選んでいます。耳にする音でいえば、客が本を出し入れしたり、ページをめくったりする音。声でいえばレジ周辺の接客の声。あとは絵本や児童書コーナーでお母さんが子どもに小さな声で読み聞かせをしている声。この空間で行われている人の営みはだいたいこの程度の表現でも足りそうです。▶ところで、武道が行われている道場も居心地の良い場所です。静かで何もない空間。聴こえてくるのは、身体の所作からでる音か気合いの声が中心になるでしょうか。「本を選んで楽しむ場の書店」と「武道の稽古をする場の道場」。集う人々の目的が明確なこの二つ。私の個人的なお気に入りの場です。【終】
2024/11/26
成長(No.98)
 子どもの成長をサポートすること。私が一番大切にしていることです。▶私が考える「成長」という概念の良さは、「その子その子の中で完結しきれる」というところにあります。一方で「成功」(その逆の言葉は「失敗」)はどうでしょうか。この概念にはどうしても他者との比較や競争のイメージがつきまとっているようです。逆に成功しても、失敗しても可能であるのが「成長」です。「あの時の失敗があったからこそ、今の私があると思います。」といったコメントをよく耳にしますが、まさにこれこそが「成長」の特長を的確に言い表している言葉だと思います。▶子どもが成長する様子はよくスポンジに例えられます。毎日あっちいったりこっちいったりしながら、身の回りの出来事や取り組みなどから多くの事を素直に吸収して学んでいるはずです。▶その子その子における日々の活動は、あますことなくその子にとって意味のあることであり、その「成長」を可能な限りサポートしたいと思っています。【終】
2024/11/19
没頭体験と役に立つこと(No.97)
 子どもは「役に立つ」という考え方から自由な存在といえそうです。▶確かに将来何かの「役に立つ」人になるというのは大切なことです。でも、それはもっと大きくなって自分で見つけていくことであって、今はそんなことよりも目の前の没頭できることに出会うことの方がずっと大事だと思います。▶社会はグローバル化し人材も流動化して久しくなります。そうすると、例えば子をもつ保護者の立場であれば「社会の期待に添えるような役に立つ人に‥…」という強迫観念が頭をもたげてきます。するとどうしても幼少期から先回りして子どもに色々と与えてしまいがちになります。このこと自体は時代のスピード感からしてある意味仕方がないと思います。▶ただ、その際に大切だなと日々思っていることがあります。それは子ども自身が与えられた事に没頭できているかどうかということ。社会に出るまでに時間的余裕がたっぷりとある幼少期に「没頭体験」ができた子どもは、それが将来直接的に役に立つかどうかに関わらず何か自分にとって豊かな生き方を探しあてていけるような気がしています。抽象的な表現になりましたが、日々子どもたちと接していて想うことでした。【終】
2024/11/12
ないのに面白くできる(No.96)
 子どもというのは、何も「ないのに面白くできる」能力に長けています。▶見馴れた風景として、空手の稽古場に子どもがひとりふたりと集まってくるにつれて走り回ったり、寝ころんだりしながら身体をフルに使って面白がっている様子があります。じゃれあったり、ふざけあったりという表現になるでしょうか。▶子どもの苦手な事のひとつとして「退屈すること」があると思います(多分本人にその自覚はないと思いますが...)。だからその場に仲間が増えてくると、だんだんと何か面白そうなことを見つけては拡げていくんだと思います。あくまでも自然に、その場に何もないのにです。(武道の稽古場には大抵何もありません。空間があるだけです。)▶子どもたちはその場に「空間と人」があれば「退屈」から「面白い」に簡単に変えられるのでしょう。モノに溢れた現代においてこの才能には感心させられます。これを一言でいうとすれば「コミュニケーションを面白がっている」ということでしょうか。そうであれば、道衣は着用するものの何ももたず相手と向き合うフルコンタクト空手というのもどこか本質的な部分で繋がっている気がしてきました。【終】
2024/11/05
おばけと子どもたち(No.95)
 10月は地域の市民センターや公園、ショッピングセンターで思い思いの仮装をしたり、お菓子を交換して楽しんでいる子どもたちをよく見かけました。西洋発のハロウィンは、ここ日本においてクリスマスに次ぐお祭り的ポジションを確立したのでしょうか。いずれにせよ、子どもたちが非日常を面白がっている様子というのは観ているこちらもなんだか嬉しくなるものです。▶ところで、作家の中村文則氏が文芸誌に寄稿していた「日本の妖怪は愛嬌がある」というエッセイを読んで妙に納得したことを思い出しました。西洋の狼男やドラキュラなどのモンスターは「戦う」という概念と関連していて、どうしても「倒す相手」として設定されている。一方、日本の妖怪(ろくろ首、のっぺらぼうなど)は「驚いたり、ビックリする対象」として設定されているだけで、人間界?から見ると「倒す相手」ではないため実害はなさそうだと。(なるほど、日本のお化け屋敷はそんなエンタメですね。)▶いずれにせよ、洋の東西に関わらず人が恐怖を感じる対象をエンタメにして楽しむ文化。想像力豊かで楽しいことが好きな子どもたちにとって、このコンテンツの存在は大きいなと感心しました。【終】
2024/10/29
試合後の子どもたちに(No.94)
 週末に「全日本ジュニア空手道選手権大会」がありました。当道場から出場した8名の選手たち。緊張する中で対戦相手に向かっていったその勇気を称えます。▶ジュニアの試合は技術レベルと体重により複数クラスに分かれてのトーナメント戦。試合時間は1分か1分30秒で延長戦も原則1分の1回。レベルも体重も近い選手同士が対戦することもあり、試合の多くが明確な優劣がつきにくいなかでの判定決着になります。このような競技特性を前提にした上で、各人が目標に向かって決して楽とは言えない稽古を続け、当日は高まる緊張感の中で独りで相手に向かっていきます。その無我夢中の数分間後の勝敗確定。小さな子どもたちにとって「なぜ勝ったのか?なぜ負けたのか?」判然としないままコートを後にすることが多いのではといつも思います。▶正直言うと、精一杯頑張ったのに敗れてしまった子どもたちをどんな言葉で労ってあげればよいか迷うことがあります。指導者として適切に子どもたちの気持ちに向き合えているかという自問自答も続きます。ただそれでも試合後数時間もたてば、いつもの笑顔に戻って帰宅の途につく子どもたちを見ていつも救われる気もしています。【終】
2024/10/22
基本形と立ち方(No.93)
 日々の稽古メニューの中で大切にしている「基本形」と「立ち方」について少し触れておきます。▶「基本形」は言うまでもなく空手の動きのすべての基本になります。中でも「立ち方」は最も重要です。そもそも人類が進化によって獲得した直立二足歩行は、例えば四足歩行と比較するとかなり不安定な状態です。その状態で一定の安定した姿勢を維持すること自体が難しいことになります。さらに組手においては「蹴り」を中心として相手と対峙していくことになるので、より身体の安定性が必要になってきます。そのために考え抜かれた形を何度も何度も繰り返すことによって身体に染み込ませていくのがこの稽古の目的です。▶子どもたちにとってのこの稽古は、ひょっとするといつまでたっても同じ動きばかりでつまらなく感じるかもしれません。集中力も続かなくなることもあるでしょう。それでも大切なことは大切です。よく「姿勢の乱れは心の乱れ」と言われることがありますが、「基本形」における「立ち方」の指導は、目に見えにくいそのあたりの事も念頭に置きながら丁寧に行っているところです。【終】
2024/10/15
食べ物の話(No.92)
 子どもたちは食べ物の話が好きです。給食の話、おやつの話、外食した時の話など。たいてい楽しそうに話をしてくれます。▶時間の制約はあるものの、私個人としては子どもが食べ物の話をしてくれている時間が好きです。「今日の給食の大おかずの話」、「新たに見つけたおやつの話」、「回転寿司の好きなねたの話」。どれもこれも具体的にそれぞれの食べ物と自分との関係を語ってくれます。しかも、実に楽しそうに。▶なぜ食べ物の話をしている彼ら彼女らはあんなに楽しそうなのか。ふとした時に気になったのでちょっと考えてみました。「おいしい」という原始的な感覚は子どもたちにとっては多分とても嬉しい体験で、だからこそ他の人にもぜひ伝えたいと思うのかなあと。さらに子どもというのは優しいので自分が好きなおやつをみんなに配って、その喜びをシェアしてくれたりもします。▶私たちは毎日当たり前に「食べ物」と接していますが、子どもたちのこういった言動に触れることで、そこには人と人を繋いでいく大切な意味のようなものがある気がしてきて、なんだか子どもたちから大切なことを教わったような気分になりました。【終】

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